故L在田一雄 追悼式

 

◆◇と き 平成28年3月22日(火)12:15~    ◆◇ところ 西脇経済センタービル2F

司 会 計画大会委員会 委員長 L大瀬良 修

① 黙祷

② 「ライオンと呼ばるる人」朗読  第一副会長 L河原 淳

③ 追悼の言葉

  会 長 L宮﨑春貴  お別れのことば

 謹んで故L在田一雄のご霊前に西脇ライオンズクラブを代表いたしましてお別れの言葉を申し上げます。L在田の突然の訃報に接し会員一同まことに残念でなりません。ご遺族の皆様にお慰めする言葉もなく、皆様方のご心情いかばかりかとお察し申し上げます。顧みますと、貴方は1963年1月28日、59名の仲間とともに西脇ライオンズクラブを創設され初代会長に就任されました。以来、ライオンズクラブに於ける数々の要職に就かれ、今日に至るまで53年間の永きにわたって在籍されました。また、L在田一雄が参加されました数々の奉仕活動は、地域社会の文化向上に役立ち、しかも住みよい郷土づくりの一助として、末永く足跡を残すものと信じております。貴方はクラブにおける奉仕活動はもちろん、各委員会の活動にも積極的に参加されました。平成27年、貴方は体調の不良を機に終身会員になられ、一線からひかれたとは申せ、他の会員の模範となるお姿でした。私達は貴方の尊いご遺志を受け継ぎ、更にライオニズムの高揚に勤めて参りたいと思います。最後のお別れに臨み、生前の輝かしいご功績に感謝申し上げると共に、哀悼の意を捧げ「お別れのことば」といたします。

  友人代表 L藤井 猛  追悼の言葉

このたび故L在田一雄元地区ガバナーは、97歳の御高齢で御逝去され、本日ここに追悼のライオンズクラブ葬を行う運びとなりました。先ずもって謹み心よりお悔やみ申し上げます。1980(S55)年7月24日~7月31日の8日間、西脇市立南中学校吹奏楽団生徒25名、ライオンズ会員4名、学校関係者4名、合計33名を、日中友好青少年交換事業として、上海・無錫・蘇州の三市へ演奏訪問派遣を致しました。西脇市並びに市民を巻き込んだ一大事業を成功裡に終える事ができました。ライオンズクラブ歴史初めての社会主義国との交流で話題となりました。当時、私は入会して六年程経過しており、やっとライオンズクラブが少し解りかけた処での出来事で、YE理事を拝命しており、終始事の重要重大を解らせて頂きました。なんと偉大な人がいるものだと唯々偉大さに圧倒された思いでした! 他方、地域・社会発展の為、業界の域を乗り超えての活躍は衆知の通りであります。この偉大な先輩を亡くして悲痛の思いでおります。この偉大なお姿を忍び、故L在田一雄元地区ガバナーを鏡として、残された私共会員は頑張って参ります。どうか末永くお見守り下さい。

  友人代表 L宇仁菅和之

 

④ ご遺族様あいさつ  在田潤三 様

本日は西脇ライオンズクラブの方々による在田一雄の追悼例会を催していただきまして、深く厚くお礼を申し上げます。また、通夜・葬儀の際には皆様方に多大なるお手伝いをしていただきまして、この場をお借りしまして改めて厚くお礼を申し上げます。在田一雄は、先ほどから皆様方の詳しい御説明がありましたように、昭和38年1月に西脇ライオンズクラブ創設と同時に会長に就任し、それ以来50年以上、人生の半分以上を西脇ライオンズクラブとともに歩んできました。その間、先ほどご紹介がありましたように335-D地区ガバナーに就任し、西脇ライオンズクラブの地位向上にも大いに貢献させていただきました。私共にとりまして在田一雄の死は、たいへん大きな衝撃であり、また、心のよりどころを失ったわけでございますけれども、「諸行無常 生滅滅已」、つまり地上に永遠なるものは何一つ無い、形あるものは必ず壊れる、人は確実に死ぬ、そしてこの世に二度と生まれてこない、という自然の摂理をしっかりと受け止めなければならない、と思っております。葬儀の時に弔辞を読まれました兵庫県の井戸知事も言われておりましたけれども、在田一雄は「野火焼不尽 春風吹又生」という白楽天の詩を好んでいました。この意味は、青々と茂った野原の草は冬には枯れて、そして春になると野火に焼かれて灰塵になってしまうけれども根だけはしっかり生き残って、春になると春風に吹かれて新たな芽を出し、前にも以上の新鮮な野原を作り出す。」そういう意味です。在田一雄のこの死は、在田家にとりましても、また西脇ライオンズクラブの方々にとりましても、偉大なものは焼かれて灰塵になって世を去りますけれども、次なる若い命、そして新しい芽が生まれてくるように願って止みません。時は今、まさしく春3月、春風吹いてまた生す、であります。在田一雄は、地元西脇には大きなプラスの遺産を残しましたけれども、自ら設立した会社がたいへん残念な結果に終わり、地元の皆様に多くのご迷惑をおかけするというマイナスの遺産も残しました。このように在田一雄の生涯は、たいへん波乱に満ちたものでございましたけれども、本人の豊かな経歴から政財界に多くの人脈を得て、最後まで享受を保ち続けたということからも、私は敗者の美学というものを私たちに残してくれたのではないかと思います。最後になりましたけれども、今日はこの様な追悼例会を開催していただき、宮﨑会長様をはじめ皆様に改めて厚くお礼を申し上げまして私のあいさつに代えさせていただきます。  今日はどうも有難うございました。

➄ ご遺族様退場 ( 全員起立 黙礼 )