2016年2月第一例会(第1273回)

2016-02-12

◆◇と き 平成28年2月9日(火)12:15~    ◆◇ところ 西脇経済センタービル2F

司 会 奉仕委員会 委員長 L藤原雅彦

1.開会のゴング  会 長 L宮﨑春貴( 第1副会長 L河原 淳 代行 )

2.国歌並びにライオンズクラブの歌斉唱

3.「ライオンと呼ばるる人」朗読  YCE委員会委員長 L小山善郎

4.会長あいさつ  会 長 L宮﨑春貴( 第1副会長 L河原 淳 代読 )

本日も例会出席いただきありがとうございます。
西脇ライオンズクラブ初代会長L在田一雄が、逝去されました。西脇ライオンズクラブとしても、とても悲しい知らせでした。L在田の我がクラブに対しての功績はどのような言葉でも表すことが出来ません。今もこの例会場におられるような感じがしてなりません。ご冥福をお祈りしたいと思います。また、お通夜、告別式とお手伝いいただきましたメンバーの皆様に、お礼申しあげます。有難うございました。
さて、2月といえば節分で豆まきをする人も多いのではないでしょうか。私も、二日前、ライオンズクラブの代表として成田山で豆まきをさせていただきました。では、「豆」をまくのか、「鬼は外、福は内」の由来は由来は何なのか、ご存じでしょうか。まず、「節分」は中国で疫病や悪鬼を追い払うために行われていた追儺(ついな)という儀式が日本に伝わってきたことに由来します。「豆まき」の由来としては、元々は豆ではなく矢を放っていたようですが、宇多天皇の時代(887年~897年)、鬼が都に侵入しようとしてきた際に豆を投げて目を潰し追い払ったことにより、それ以後豆を投げるようになったと言われています。豆(大豆)は元々米・麦・粟・豆・黍(きび)または稗(ひえ)の五穀の一つとされ、儀式などにも用いられる神聖な食べ物とされてきました。また米より一粒が大きいため、より悪霊を追い払う威力が高いとも考えられていました。また、まく豆は生豆を使ってはならず、必ず炒った豆を使わねばならないともされてきました。その理由は拾い忘れた豆から芽が出ることを縁起が悪いと考えたことに由来するとも、「炒る」という言葉が弓矢で「射る」ということと発音を同じくしているということに由来するとも言われています。節分の豆まきの際によく言われる決まり文句である「鬼は外、福は内」という言葉は、その由来はハッキリとしたことはわかっていませんが、一般的には「鬼は外、福は内」が有名なのですが、これには多少のバリエーションがあり、鬼が良い者とされていた地域では「鬼は内、福も内」という掛け声がむしろ一般的であったり、古い寺社のある地域では、仏心で鬼を改心させるという意味で「鬼は内」と言われることがあったりします。また、「鬼塚」「鬼頭」など「鬼」のつく姓が多い地域や、旧大名・九鬼氏の領地でも「鬼も内」とされています。今年はもう機会はないと思いますが、来年、豆をまく際には、こうした由来を少し意識してみると面白いかもしれません。2月21日には高校新人駅伝があり炊き出し等いろいろお世話になります。よろしくお願い申し上げまして、例会挨拶といたします。

5.本月の誕生祝  L藤井 猛 L小林茂夫 L藤原廣司 L松原義紀 L藤井義輝 L嶋田 登  L藤原洋志

L高瀬純造

L宇仁菅和之

L長井秀夫

L平田 滋

 

 

6.次期役員指名委員長あいさつ  次期役員指名委員長 L生田弘之

7.幹事報告  幹 事 L徳岡武義

8.本日の議題

9.その他、報告事項 

10.食事

 

11.会員スピーチ  L近藤文博

YCE委員会の近藤です。この度は会員スピーチを仰せつかりました。しばらくお時間を頂戴いたします。私は、2011年10月に西脇ライオンズクラブに入会させて頂きました。12年前に膠原病を患い、その後、酒もゴルフも縁を断ちました。そのようなこともありなかなか皆様と深いお付き合いができておりません。そのような訳で今日は、私をより知って頂きたく自分の今までの人生を簡単に振り返ってみました。
私は1949年(昭和24年)1月30日生まれ、現在67才ですが、今までの人生で大きく3回のターニングポイントがありました。
① 第一は、商社マンとして社会人スタートしたことです。
1971年大学卒業と同時に総合商社の伊藤忠商事に入社し、22才で商社マンとしてのスタートを切りました。東京本社勤務となり、担当した商品は造船重工業・自動車・家電・建設等々で使用される、普通鋼・特殊鋼・ステンレス・パイプ等の鉄鋼製品全般でした。例えば、東京都庁ビルの20階~30階部分で使用されている鉄骨、明石海峡大橋にかかる橋脚に使用されている鉄材、等々自分が手がけたSEELが今も残り、今も現役です。見るたびに感慨深いものがあります。
② 第二のターニングポイントは人材コンサルタント(産業力ウンセラー)としてのスタートです。
50才直前で希望して事業子会社に転籍しました。キャプランという民間ハローワーク(有料人材紹介会社)です。若手の転職希望者からリストラ対象者まで転職の斡旋をする会社です。まだリクルートもこの分野では創生期で、一番遣り甲斐のある仕事ができたと思っています。その後サーチファーム・ジャパンという会社を数人で立ち上げ独立し、エグゼクティブ人材をサーチするヘッドハンティングを手掛けました。ヘッドハンティングは、現役のバリバリを引き抜き、更なる飛躍の場所に案内する役割でした。これも非常に興味深い仕事でした。この間約10年、人材コンサルタントとして沢山の優秀な人材の転職をお世話させて頂きました。
③ 第三のター二ングポイントはホテルマンです。
60才を迎えた頃、家族の事情でやむなく東京の仕事を後身に譲り西脇に帰郷しました。引き続き何か経験を生かせる仕事を続けるつもりでした。10年間他人の仕事さがしをビジネスにしていましたが、初めて自分自身の職探しをしました。数社対象の会社をサーチしましたが、幸か不幸か、現在の西脇ロイヤルホテルにご緑を頂き、今度はホテルマンとして今に至っております。早いもので6年が過ぎようとしています。

第一のターニングポイントは就職で商社マンとして28年、第二は50才で人材コンサルタントとして10年、第3はホテルマンとして6年、これが今の私です。

最後に私が、最近なるほど思った言葉が2つあります。
ひとつは「人生は後悔に時間を費やすほど長くはない。」
二つ目は「人生には野球のように代打もリリーフもない。自分でやるしかない。」

以上、本日は纏まりのない話ではありますが最後までご清聴ありがとうございました。こんな私ですが、これからもよろしくお願い致します。

12. 前回のファインバンク  テールツイスター

13.本日の出席率  会員・会則・財務委員長 L稲益和貴

14.また会う日まで

15.閉会のゴング  会 長 L宮﨑春貴( 第1副会長 L河原 淳 代行 )

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